自殺してはいけません
自殺してはいけません
七つの理由
私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。ローマ8:38-39
そこでパウロはクリスチャンの確信を説明し主張しています。なにも、クリスチャンをキリストの愛から引き離すことはできない、と主張しています。彼はたくさんの恐ろしいことをのせています。たとえば死です。大部分の人たちは死を恐れています。ところがおどろいたことに、いのちのことものせています。どうしてそのことばが書いてあるんでしょうか。ある人たちは自分の人生を生きることを恐れているからです。いのちでさえクリスチャンをイエス・キリストの愛から引き離すことができないのです。日本でも、毎年、33000人自殺しています。子供から老人までが含まれています。原因はとても多いです。恥じをかいたこと、大切なことを失敗したこと、寂しくなったこと、苛められたこと、罪を犯したこと、ストレスがたえられなくなったこと、健康の悩みなどです。本当にこの世は、惨めなところではないでしょうか。この世のなかに、本当の愛は、なかなかないのです。聖書によると自殺をしてはいけないと書いてあります。私は七つの理由にしぼって、お伝えしたいと思いす。
l。いのちは尊いものですから
神様は私たち人間をご自身のかたちに造って下さいました。そして神様は人間に語っておられます。人間を救済してくださいます。神様は人間を愛してくださっているから。人間のことを大切に思っておられます。人間は永遠のたましいをもち、かつ神様と交わることができるので、尊いものですね。人間一人は、たくさんのお金より、すべての動物より、この全世界と宇宙より、神様にとって大事なのです。あなたのいのちは尊いものですから捨てないでください。
2。自殺して、死んでしまったら、その決心を変えることができませんから
聖書のある一節に、「木はたおれた場所にそのままにある」と書いてあります(伝道書11:3)。死んだ後では、自殺したという事実を消しさることはできません。生きていれば、どんな悪いことを決心をしても、思い直すことができますが、死んだ後はもう決して自殺の決心を変えることができません。そうするとすべてのことが終わってしまいますからはやまらないでください。
3。自殺の決心はほとんどが急いだ感情的なことですから
私たち人間は気分が上がったり下がったりしますからすべての人々は時々憂鬱になって、陰気になるでしょう。けれども一時の憂鬱、または感情的な状態のため、そんなに無茶なことをするのは、ちょっと分別のあることではないでしょう。聖書の話です。使徒パウロとシラスは迫害されて、刑務所に投げこまれした。真夜中ごろパウロとシラスは主に祈ったり、賛美歌を歌ったりしていました。ほかの囚人たちも、じっとききいっていました。そのときです。突然、大地震がおこったのです。ドアは開き、囚人たちの鎖もはずれていました。看守が目をさますと、ドアが全部、開いています。てっきり、囚人は皆、脱走したものと思い込み、もうダメだとばかり、剣をぬいて自殺しようとしました。その時、パウロが叫びました。「自害してはいけない。全員ここにいるぞ!」看守は恐ろしさのあまり、わなわな震えながらパウロとシラスの前に来て「先生方、救われるにはどうすればよろしいのでしょう」と尋ねました。二人は答えました。「主イエス様を信じなさいそうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」。ちょうどそのとき看守は信じました。神様は今日も、現在の私たちに同じことを語っておられます。現実には目の前のことしか見えないので、自害、自殺してはいけません。
4。自殺は人を愛することではありませんから
それはまわりの人に悪い影響を与えます。家族に対してひどいことになります。自殺するのは、家族にとって一番ひどい苦しみだと言ったらよいでしょう。家族はめいめい、一生涯、悲しくて寂しくて、後悔して思い出さずにはいられません。 そして家族だけではなく家族以外の人をも自殺は愛さないのです。弱く、しっかりとした自分をもっていない人は、自殺をした人をよくまねます。1986年4月に、ポプアイドルの岡田ゆき子は、自殺しました。警察のデーターによると、その月に114人の子供たちは同じことをしました。皆さん。どこに責任があるのでしょうか。そのアイドルは110人以上も人を彼女と一緒に連れて行ったのでしょうか。今、日本では多くの子供たちは自殺しています。原因はよく大したことではなくて小さい問題で自殺してしまいます。なぜなら簡単に他の子供をまねてしまいました。自殺は他の人に対して本当に愛することではありませんから自殺してはいけません。
5。自殺は罪ですから
十戒の六番目のいましめは「殺してはならない」ということです。もちろん他の人を直接殺してはいけないという意味ですが、このいましめは自分自身を殺してはいけないということも意味しています。自殺はひどい罪なんのです。自分のいのちは自分のものではなくて神様からの賜物です。神様は一人一人にいのちを与えられました。神様のものですから自分のいのちをそまつにしてはいけません。
このいのちを通して神様に仕えるからです。聖書では三人が自殺しました。 不信者になったサウロ王、謀反であるアヒトフエル、イエスを裏切ったユダでした。皆悪人でした。日本の武士たちもさまざまの事情の中で、切腹していきました。このことは神様の前に罪です。自殺というものはいつも正当性がみいだされず、むしろいつも不面目な罪です。この罪はほかの罪より、神様の存在に対して不信仰となります。
6。自殺するのはなべから火に飛び込むというようなことですから。
自殺した人は苦しみから逃げたのではなく、むしろもとひどい状態に入ります。彼らは怒りをもった神様に会うからです。聖書によると地獄は本当に存在しています。そして地上でどんな苦しみにあっても、地獄の方がさらに大変なのです。イエス様によると苦しみ、恥じ、憎しみ、さびしさ、絶望がいっぱいのところです。神様の存在をまだ信じていなくても、その恐ろしいところに行くリスクを負って自殺してはいけません。
7。自殺することにまさった道がありますから
聖書に放蕩息子というたとえ話しがあります。この息子は父親のお金をもらった後で、父親を捨て、父親にそむき、父親から遠いところへ出て行って、そこで父親の財産を使い果たしてしまいました。この息子はすべての点で失敗してしまいましたね。彼は家族の点で、道徳の点で、ビジネスの点で失敗しました。彼は皆を失望させて、探していた幸福を見つけることができませんでした。友達もいなくなってしまいました。しかしこの息子は我にかえったとき、何をしたでしょか。彼は父親の愛を思い出したから父親のところにかえって告白し、謝ろうとしました。彼が帰ったとき、父親は走りよって、汚い息子をしっかり抱きしめ、口ずけをしてくれました。このたとえ話しの父親は神様をさしています。全能の神様の愛はその父親の愛と同じような愛です。神様の愛は赦す愛です。その息子は父親の愛に気づいっているので父親のところに帰りました。赦されるために帰ったのです。もしあなたがまだクリスチャンでなければぜひ放蕩息子と同じように神様のところに帰ってください。そうすると、神様はあなたも受け入れてくださいます。
イザヤ書55:1-2。「ああ。かわいている人がいたら、金が全然なくても。自由に飲みに来るがよい。最上のぶどう酒とミルクをもっていけ。全部ただだ。どうして、すこしも、力のつかない、食料品のために金をむだづかいするのか。すこしもはらの、たしにならない食べもののためにお払うのか。私の言うことお聞け。たましいを元気にする。栄養化の高い食べ物をどこで、手に入れるか、教えてやろう」。
この世では本当の幸福をなかなか見つけられません。イエスさま以外には本当の幸福はありません。この世の楽しみはむなしいことですね。私たち人間の霊的な問題は霊的な解決が必要ではないでしょうか。ローマ8章にはいのちを初めに書いています。それはそんなに珍しいことではないのです。いのち、生きるということは、すべらしいことばかりではなくたびたび苦しいことも含まれています。でもクリスチャンは自分の現実や、この世界だけを見ないで、天国とイエス・キリストを信仰の目で見ています。クリスチャンにとって、生きるということはどんなに大変でもイエス・キリストの愛から引き離すことができません。このように七つの理由から、決して自殺してはいけません。
霊的な自殺
しかし別な自殺があります。それは霊的な自殺です。もしある人が救いの道について聞いても、そのよい知らせを拒めば、その人の霊的な状態を、なんと呼べばいいのでしょうか。それは霊的な自殺ではないでしょうか。むかし神様は預言者のエゼキエルを通してイスラエル人に願ってこう言われました。なぜ「あなたがたは死のうとするのか。」少数の人たちは、自殺しても、大多数の人たちは自分の尊いたましいを軽視しています。その行きつくところは永遠の死です。もしあなたはクリスチャンにまだなっていなかったら、ぜひイエス・キリストを信じてください。そすればあなたに永遠のいのちが与えられます。
トマス・ロッド